神風特攻隊員の遺書…大切な人への手紙が泣ける…[adsense]

神風特攻隊とは

神風特攻隊は相手側の船や飛行機に命を引き換えに衝突する事を目的に編成されました。昭和19年(1944)10月20日に最初の攻撃隊が編成され、昭和20年(1945)8月15日の終戦まで続きました。彼らにとって大切な人が未来の日本で立派に生きられるよう、戦い散っていかれたのです。戦時中、自分の死を前にした彼らが自分の命ではなくて、家族や弟や妹や恋人など自分が大切に思う人の命をなによりも大切にしていました。若くして散った特攻部隊の遺書には家族への愛や婚約者への愛を綴った遺書が残されています。紙では伝えられない気持ちがその遺書から溢れ出てきています。その遺書は今でも鹿児島県の知覧特攻平和会館の展示されています。今回はその一部をご紹介します。

特攻隊員の遺書

武田竹司少尉(享年18歳)「大好きな餅が食べたい」

昭和二十年四月十二日、第三回神雷桜花特別攻撃隊で一式陸攻の搭乗員として出撃、南西諸島方面にて戦死。[adsense]

相花信夫少尉(享年18歳)「母を慕ひて」

第七七振武隊として、昭和20年5月4日に出撃、戦死。継母に言えなかった「お母さん」という言葉を書き綴っています。

穴沢利夫大尉(享年23歳) 婚約者に宛てた手紙

昭和20年4月12日、特別攻撃隊「第二十振武隊」隊員として一式戦闘機「隼」に乗って知覧飛行場より出撃、戦死。女物のマフラーを巻いたまま、敵艦に突っ込んでいったと伝えられる。

戦死した特攻隊員を思い続ける婚約者

穴沢利夫大尉の婚約者だった伊達智恵子さんは穴沢利夫大尉が吸った煙草の吸い殻をずっと寄木細工の小箱に入れて持っていました。数十年経った今でも彼の事を思い続けているのです。8月15日の終戦の時、「あなたは何のために死んだの」と虚脱感に襲われたという智恵子さん。自分に宛てた手紙を公にすることや戦時中のことを話すことにためらいがあったと言います。それでも話すことにした理由を「知覧からの手紙」で語っています。
「最近は、戦争が美談とされることもあるし、特攻隊を勇ましいと憧れを持つ人もいる。でも、私たちは戦争がいかに悲惨なものかを知っています。間違った事実が伝わらないように、今、話しておかないと、と思ったのです。あの時代を生きて、身をもって体験したことを語る人は毎年少なくなっている。長く生かされていることに、何らかの使命が課せられているとしたら、それは語り部の役割かもしれませんね」
伊達智恵子さんは、2013年5月31日(金)に天国へと旅立ちました。彼、穴沢利夫さんがいるところへと…現在私たちは戦争から遠ざかっている年代の人ばかりです。これからの未来のためにも歴史を通して多くを学び続けるべきだと思います。

神風特攻隊を敵将が語る戦績

自爆テロを「神風」と表現する一部マスコミが見受けられますが、命を投げ打ち祖国を守ろうとした特攻と民間人を犠牲にするテロを同一視するような報道は間違っています。特攻隊は日本をなんとか救おうと愛国心の一念から彼らは飛び立ち命を捧げています。

ダグラス・マッカーサー陸軍元帥

「沖縄では、大部分が特攻機から成る日本軍の攻撃で、米側は、艦船の沈没36隻、破壊368隻、飛行機の喪失800機の損害をだした。これらの数字は、南太平洋艦隊がメルボルンから東京までの間にだした米側の損害の総計を超えているものである。」
引用:https://blogs.yahoo.co.jp/novice14sight/13954896.html

アーネスト・J・キング海軍元帥

「四月六日からはじまった日本機の攻撃は、いままで嘗てなかった激烈なものだった。この特攻戦は凄惨を極めた。(略)海上では戦死行方不明4907名、戦傷4824名であった。艦船は沈没36隻、損傷368隻であり、飛行機の喪失は763機であった。」
引用:https://blogs.yahoo.co.jp/novice14sight/13954896.html

チェスター・W・ニミッツ海軍元帥

「我が海軍がこうむった損害は、戦争中のどの海域よりも、はるかに大きかった。沈没30隻、損傷300隻以上、9000人以上が死亡、行方不明または負傷した。この大損害は、主として日本の航空攻撃、とくに特攻攻撃によるものであった」引用:https://blogs.yahoo.co.jp/novice14sight/13954896.htmlアメリカ側は日本への原爆投下や民間人大量虐殺、当時の戦闘を謝罪こそしない国ですが、この戦後より、急に日本に対して今までのひどい対応を方向転換し、資金・食糧援助、防衛の支援等もおこなってきたのはこれが要因のようです。先人たちの尊い命と多くの犠牲の上にある平和に心より感謝致します。子供や若い世代の方へも大東亜戦争の真実や日本に対する誤解、戦後の嘘の反日歴史教育、虚偽報道の実態、そして多くの涙も未来へ伝えていきたいですね。

ネットでの反応

・二度と戦争が起こらないように…こんな時代が日本であった事を消して忘れないように。遺書やその時の話しを聞いていたら本当に苦しくなる。・自分の命と引き換えに相手の命を奪う攻撃を表現する、他のボキャブラリーがいまだに存在しないのも確かなんだよなぁ。・鹿児島行ったとき、知覧特攻平和会館行ったなぁ。そこには特攻隊の遺書がいっぱいあって10代、20代の年齢が書いてて……。すごい悲しさが込み上げてきた。
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