フライデー襲撃事件後、ビートたけしの会見がカッコよすぎる…[adsense]
フライデー事件とは
1986年、ビートたけしと愛人関係にあった専門学校生に対し、写真雑誌「フライデー」の強引な取材に業を煮やしたビートたけしが弟子であるたけし軍団11名と共に、講談社のフライデー編集部に乗り込んだ事件です。
フライデーを襲撃した理由
1980年代当時、写真週刊誌の報道は行き過ぎが問題視されていたころでもありました。中でもその先鋒は「フライデーされる」という今でもよく聞く言葉を生み出した週刊誌「FRIDAY」です。そのため事件後にはビートたけしさんらに同情的な声がありました。また、ビートたけしさん個人の状況からいうと当時の交際相手の女性に対する過剰取材をしたのは元々、彼と懇意にしていた記者だったそう。そのためいろいろと事情を知っていた記者がその情報を利用して過剰取材へ…当時、「フライデー」の契約記者だったAはたけしに取り入って、四谷三丁目にあった居酒屋「北野家」に出入りし、ただ酒を食らいながらたけしの身辺の情報を入手していた。ところがAはたけしを裏切って専門学校生やその家族にまで今でいうストーカーまがいの取材をしたのである。それに対して、たけしは怒ったのだ。フライデー事件後の会見が素晴らしかった
フライデー事件後、たけしさんは記者会見を行っていますが、この会見が史上最強の記者会見と言われています。ビートたけしはその後8カ月の謹慎処分となり、マスコミから身を隠しその多くのときを石垣島で過ごしました。しかし、この石垣島での体験が北野ブルーと呼ばれる、北野映画の基調となる鮮烈なイメージを生み出すのだから、何が幸いするのか分からないものです。天才というものは逆境でさえも新たな創造の糧にするのかもしれません。ネットでの反応
・たけし二世は現れないだろうな。この世は不景気だけど、たけしがいる世代に産まれて良かった。実は、乗り込んで行って手打ちにして、一緒に飲みに行こうと始めは思っていたらしいが、カメラ構えて挑発してきたから暴力になったみたい。なこと後日談で聞いたな。・天才なのに上がり方、落ち方に 人間的魅力を感じてしまうのはなぜだろう。もう出ないよね。こんな人。生きてるうちに何度でも言うよ。同じ時代に生まれて良かったと・・・・。・全ての質問に全くうろたえることもなく平然と即答出来てるのが凄い[adsense]