歴史的犯罪者の見苦しい言い訳…恐ろしすぎる…[adsense]死刑を逃れ無期懲役として生きる凶悪事件の犯罪者たち。そんな凶悪犯罪者たちの見苦しい言い訳を紹介します。

川俣軍司

「バカに4人も殺せるか。この辺で人生を終わらせたかったのだ」深川通り魔殺人事件。1981年(昭和56年)6月17日午前11時35分頃、東京都江東区森下二丁目の商店街の路上において発生した無差別殺人事件。茨城県鹿島郡出身の元トラック運転手で寿司職人の経歴を持つ男(当時29歳)が商店街の路上で、主婦や児童らを包丁で刺し、児童1人と乳児1人を含む4人が死亡、2人が怪我を負った。男は主婦や児童を刺した後、通行中の女性を商店街の中華料理店に引き連れ、女性と中華料理店の店員や家族などを人質にとった(営業時間外)。家族は店の裏口から逃げ難を逃れたが、男は店の2階に立て篭もった。中華料理店は駆けつけた警察官に包囲され、男の説得に当たった。

宮崎勤

「ネズミ人間がヌ~ッとあらわれて・・・」東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。1988年から1989年にかけて東京都北西部および埼玉県南西部で発生した、幼女を対象とした一連の事件である。

星島貴徳

「僕を疑ってるのかもしれないですけど、フフフ」2008年、東京都江東区のマンション女性が神隠しにあったように行方不明となりのちに殺人・死体損壊遺棄が発覚した事件。マンションの外で待ち構える多くのマスメディアのインタビューに応じて自分が殺害した女性の失踪を心配する素振りを見せた。殺害後、加害者は被害者の父親とエレベーターで乗り合わせた際に「大変なことになりましたね」と言い、マンションの管理会社に対して監視カメラが足りないなどと言ってクレームの電話までかけたり、事件と無関係を装っていた。性奴隷にしようとして拉致し、事件の発覚を防ぐには被害者の存在自体を消してしまうしかないと考えた自己中心的で卑劣な犯行。

都井睦雄

「うつべきをうたず、うたいでもよいものをうった」津山三十人殺し。1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。津山市など近隣地域では「加茂の三十人殺し」と呼ばれている

荻原克彦

「須藤君の分まで長生きしたいです」栃木リンチ殺人事件。1999年12月4日に栃木県で発覚した複数少年らによる拉致・監禁・暴行・恐喝・殺人・死体遺棄事件。無抵抗な被害者を加害者少年らが連れまわして暴行を加え多額の金を奪い、被害者家族が警察に相談していることを知ると被害者を殺害に及んだという凶悪・凄惨な少年犯罪である。また被害者の両親から9回もの捜査依頼を受けながらそれを拒絶し続けた栃木県警の不手際も世論に衝撃を与え、桶川ストーカー殺人事件とともに一部国民の警察不信の一因となった事件。事件発覚後、栃木県警は世論および裁判所から厳しく批判された。[adsense]

谷口誠一

「自分の中に別の自分がいる。そいつが人を殺せと言っている」西鉄バスジャック事件。2000年(平成12年)5月3日に発生した当時17歳の少年によるバス乗っ取り(バスジャック)事件である。西鉄高速バス乗っ取り事件や佐賀バスジャック事件、さらにインターネット掲示板の2ちゃんねるに犯行予告の書き込みが残されており、その時のハンドルネームからネオむぎ茶事件(ネオ麦茶事件)とも呼ばれた。

福田孝行(大月孝行に改名)

「ドラえもんが何とかしてくれると思った」光市母子殺害事件。1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。なお、未成年者が死刑確定した例としては戦後では小松川事件、少年ライフル魔事件、永山則夫連続射殺事件がある。永山基準の枠組みでは当該事件について誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑が出来るという基準によっていたが、本判決は「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、本件のような場合は原則・死刑適用、例外・死刑回避という判断の枠組みを示した。

大久保清

「おれは悪い人間なんだ。人間の血は捨てたんだ。だから人間ではない」1971年に画家を装い、若い女性に近づき言葉巧みに愛車に乗せ、人気のない場所で強姦、殺害し、遺体は山中に埋めた。この手口で同年に2か月足らずのうちに8人を殺害し逮捕。1973年に死刑判決を受け、1976年1月22日、死刑執行。

畠山鈴香

「信じられない。信じたくない。信じない。」2006年、秋田県山本郡藤里町で2人の児童が殺害された事件。自分の子供と近所の子供を殺害。小学校4年生の女子児童が自宅から10キロ離れた川で水死体となって発見されさらに被害女子児童の2軒隣の男子児童が約12キロ離れた川岸で遺体で発見された。

勝田清孝

「僕は、真人間になりたかったんです」1972年から1983年まで約10年間にわたり凶悪犯罪を繰り返し、犯行方法も次第にエスカレートしていった。警察官を交通事故で呼び出し、駆けつけた警察官を車で轢き、銃を盗むという過激な犯行にもおよび、1982年10月31日から翌日にかけてその拳銃で、高速道路のサービスエリアから強引にヒッチハイクして乗り込んだ車の運転手を射殺、この一連の犯行で警察庁は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定した。殺人の人数については22件について疑われ、勝田本人も22人を殺害したと自供したものの、14件は確証がなかったため立件されず、確定しているのは8人のみである。なお、勝田の犯行とされているものの多くは初め別件だと思われていた。

佐川一政

「殺したかったわけではない。食べたかっただけだ」1977年(昭和52年)からフランスに留学し、1980年(昭和55年)、パリ第3大学大学院修士課程修了。引き続き同大学に在籍していた1981年(昭和56年)6月11日、佐川は同大学のオランダ人女性留学生(当時25歳)が自室を訪れた際、彼女を背後からカービンで撃って殺害。屍姦の後、解体し写真に撮り、いくつかの部分の肉を食べた。犯行を自供したが、取調べにおける「昔、腹膜炎をやった」という発言を通訳が「脳膜炎」と誤訳したことから、精神鑑定の結果、心身喪失状態での犯行と判断され、不起訴処分となった。

ネットでの反応

・自分で言ったわけじゃない言葉が名言として語り継がれる偉人あるあるやね・ほんと同じ人間とは思えない・ヤバイやつばかり・・・
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