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幻の都市ポンペイとは

ローマから南東に下ること約250キロ、ナポリ湾を一望できるヴェスヴィオ火山の山ろくにポンペイはあります。この地はことわざにもあるように世界一風光明媚な場所として知られていました。そのためかこの都市は富裕のローマ人の保養地として貴族の別荘が多数あったことでも有名でした。このポンペイの街を紀元79年8月24日(日本の弥生時代)、ヴェスヴィオ山の大噴火によって噴火開始からわずか19時間で滅亡しました。

幻の都市ポンペイを襲った悲劇

ヴェスヴィオ山の大噴火数日前から恐ろしい滅亡の時を予感させる予兆とも言える地震がひっきりなしに続いていました。しかし、多くのポンペイ市民はそのうち治るだろうと楽観的にしか考えていませんでした。ヴェスヴィオ山は定期的に活動を開始しては治るのが常だったからです。その日、突然と噴火は始まりました。ものすごい大音響とともにヴェスヴィオ山の頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口を開けました。バラバラと灰と軽石が雨あられのごとく降り注ぎました。火口からは高温と化した泥流は溢れ出し、ポンペイの街に向かってゆっくりと流れ出しました。しかし、まだこの段階になってもポンペイの人々の多くは自体を楽観視していました。彼らは家にこもり、降り注ぐ灰と軽石の雨が子康状態になるのを待っていたのです。しかし、待てども待てども弱まる気配などなく、ますます激しさを増していきます。もはや一刻の猶予もないと悟った人々は暗闇の中、逃げ出すことになりましたが、方向がわからなくなり、手を握り合ってはいるもののでたらめに這い回るのが精一杯でした。ある家族は力尽き、抱き合ったまま苦しんだ挙句、道路上で息絶えていました。子供達は有毒ガスで目をやられ、涙を流して地面を這いずり回り、悶え苦しんで窒息死しました。犬は濃い煙で呼吸が出来なくなり、鎖に繋がれたまま逃げる事も出来ずに死んでいき、家で飼われていた数頭の馬は重なり横転した状態で死んでいきました。ある金持ちは両手に金貨をしっかり握り締めて道路の傍にうずくまりのたうち回って死んでいった。ついほんのわずか数十分前まで何事もなく生活していた人々が突如地獄に突き落とされ、たちまち無惨な屍に変わり果てていきました。[adsense]

大噴火で逃げ遅れた古代ローマの人々

死の灰は一気に街を飲み込み、噴火によって命を落とした人々の姿までをもそのままの形で封じ込めていった。死者は約2000人〜1万人以上とされています。火砕流と火山の噴出物によって街全体は埋もれ、1748年に本格的な発掘がスタートするまで1700年近く、その存在は地中深くに眠ることとなりました。死者は死んだままの姿で灰の中に埋もれ、肉体が朽ちた後もその空洞は残りました。人体があった空洞に石膏を流し込むという手法で掘り出した像はポンペイ人の石膏像として展示されています。犠牲者の石膏像は現在までに1000体以上にのぼります。死者の錆型は約2000年前の犠牲者たちの姿がそのままの状態で型どられており、当時の大災害の悲惨さを今に伝えています。

ネットでの反応

・慣れって怖いね。前兆で逃げれたらこんな悲劇は無かったのに。・ボンペイは一度行ってみるべき。生と死の交差点だよ。売春宿や温泉、飲食店の跡もみられてつい最近までの人々が暮らしていた痕跡が残っている。・一人くらいたすからなかったんかな
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