創価学会が行う友人葬が時代の先を行くお葬式だった…これが最先端か…[adsense]最近の葬儀は時代に合わせて家族葬、一日葬、直葬、通夜葬など、様々な形式が取り入られてきています。家族葬が一般的になる前から、身内だけの葬式にこだわってきた宗教団体がある。それは創価学会。今回はそんな創価学会のお葬式について紹介します。

創価学会が行う友人葬

公称会員数827万世帯を擁する創価学会です。創価学会のお通夜・葬儀は25年以上、友人葬と言われる形式で行っています。友人葬の特徴として僧侶・お坊さんは呼びません。そのため、お布施のたぐいは一切必要ありません。また、故人に戒名をつけません。僧侶の代わりに導師という古参の学会員が進行役を担い、遺族と友人が集いあい、法華経の方便品と寿量品の自我偈を読み、南無妙法蓮華経の題目を唱えてまごころからの追善供養を行います。導師は創価学会の儀典部に所属しています。信仰歴が長く、教義に造詣が深く、葬儀方法を熟知しているベテランが多いという。友人葬は僧侶がいないため原則として香典も必要ないとされている。[adsense]

友人葬のスタートは1991年ごろ

1991年は創価学会が宗門の日蓮正宗から破門された年。それ以前は、学会員の葬儀は日蓮正宗式にならい、僧侶が執り行っていた
「宗門からの破門により、『後ろ向き』な改革の結果として生まれたのが友人葬」
しかし、破門されたとはいえ、創価学会は教義上は日蓮正宗を引きずっています。最も困ったのが葬儀問題。宗門と決裂したことで葬式では僧侶を呼ぶことができない。苦肉の策として生まれたのが、学会員自らが聖職者の代役を担う「友人葬」だったという。また、友人葬の公式ホームページにはこう記述されている。
「葬儀で僧侶が引導文を読み上げないと成仏しない」、また「故人に戒名が必要である」という考え方は仏教の開祖である釈尊(釈迦・仏陀)の考えにはありませんし、仏教の本義に照らして正しいものとはいえません
仏法では成仏はあくまでも故人の生前の信仰によるものと考えられています。創価学会は、葬儀でなによりも大切なのは故人を悼む、「まごころ」からの題目による追善回向だと考えます。そうした意味から、友人葬こそ仏法の精神にもっともかなった、仏法の本義に則った葬儀であるといえるのです。

創価学会の墓

創価学会では学会員専用の墓地公園や納骨堂などがあり、創価学会の学会員さんが亡くなられたらこの墓や納骨堂に入るケースが多いようです。墓はみんな同じデザイン同じ大きさで整列して並んています。全国に墓地公園が13箇所あるようですが、新しい人が満員で入れない墓地公園もあり大変人気があります。
・戸田記念墓地公園・東北池田記念墓地公園・みちのく池田記念墓地公園・ひたち平和記念墓地公園・富士桜自然墓地公園・中部池田記念墓地公園・関西池田記念墓地公園・中国平和記念墓地公園・山光平和記念墓地公園・四国池田記念墓地公園・九州池田記念墓地公園・沖縄平和記念墓地公園・はるな池田記念墓地公園

非学会員から友人葬の相談も・・・

「友人葬は創価学会の『まごころ』が最も表れる。故人のことを知らない人までも地域の学会員が有志で集まって真心をもって弔ってあげる。学会員の中には何十回も友人葬に参加していますが、いつも『爽やかでいいお葬式でした』と感謝されます」
時には、創価学会員以外からも友人葬をやりたいという申し出があるという。実際、私の近所に住む非学会員の方から相談を受けたので導師を招いて友人葬をしたのですが、300万円くらいかかるはずだった葬式代80万円弱になったと非常に喜んでくれました。友人葬は学会に対する理解を深めてもらえる場にもなっている。しかし、友人葬でも葬儀会場代などの最低限の経費はかかる。香典が必要ないというスタイルゆえ、その大半が遺族の持ち出しとなる。とはいえ、
「なるべくお金をかけたくない」「家族に迷惑をかけたくない」
と派手な葬儀より、今の時代は身内の家族葬がもてはやされている。はからずも池田大作名誉会長は91年11月12日付の「聖教新聞」でこう述べている。
学会の友人葬は『時代を先取り』している。先端中の先端を行っている。その誇りを強くもって、堂々と進むべきだ
これぞ、先見の明というべきなのかもしれませんね!

ネットでの反応

・宗教法人が取り消されそうだから葬式ビジネスを始めたのか実態はマルチだからな・お葬式自体お金はかからないけどトータルで考えると高いんじゃないの・この問題はもっと議論を深めていかなくてはならないと思う。
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